ちばにう通信

地域をつなぐ「月刊千葉ニュータウン」のサイトです。

HOME > 自然農の畑から

なぜ自然農を始めたか

投稿日:2005年2月12日 更新日:

できる限り草をとらない、肥料をやらない、耕さないという、いわばありのままの自然を生かして作物を育てる方法で野菜などを作り始めて、はや10年余りになる。

多少の紆余曲折もあったり、必ずしも順調というわけでもなかったが、そんな条件の中でも元気に育つ、さまざまな野菜の姿を前にすると、感動と喜びがあふれてきて力が沸いてくる。

とはいえ、よけいなことをしないのだから、別名「手抜き農業」とも言える自然農(私自身は、大胆にも「高齢化社会向き農業」と思っている)、実はたくさんの命に支えられている。なかでも、ミミズはまさに縁の下の力持ちだ。刈り取ってはその場に置いた草を見事に豊かな土に変えてくれる。おかげで畑の土はフカフカだ。草は草で土壌の乾燥を防いだり、流出を止めてくれる。大雨でも水たまりができない等、想像以上の役割を果たしてくれている。

こうして周りの自然に支えられていることを実感できることは、この上ない喜びでもあり、自ずと感謝の思いも深まる。

そもそもなぜ自然農を始めたかというと、深刻化しつつあったさまざまな環境問題の実態を知ったことや、日本の食糧自給率の極端な低さに驚いたこと等も、動機の一部ではあったが、実はさらに深い本能的かつシンプルなところで、自然とのつながりを求めていたからのように思う。

この約半世紀、ほとんどの人がより便利で快適な生活を夢みて、「より多く」のかけ声とともにひたすらお金と物による豊かさを追い求めてきた。それは大量生産、大量消費、大量廃棄というシステムの大きな波となって押し寄せてきて、その波のうねりに呑み込まれて、私も多くの物に囲まれて生活しているのだが、ついぞ心の充足感を覚えたことはなかった。

なのに今、畑に立つと何もないのに心は満たされてゆく。

たくさんの命とのつながりを実感できることが、生きている喜びを取り戻させてくれる上、ともすれば肥大化しそうな欲望を等身大に戻してくれる。不便であることが楽しさに変わる瞬間を味わえるのも、そんな空間にいる時である。「より多く」ではない方向に、かけがえのない喜びと豊かさの可能性があるのかもしれないということを、自然は教えてくれている気がする。それも静かに淡々と、そして時には大胆に。

-

執筆者: