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ウソつきは介護職の始まり?

投稿日:

 佐伯 咲

 「嘘つきは泥棒の始まり」ということわざにもあるように、多くの人は、幼い頃から嘘をつくことにまつわるアレゴリーやユーモアに富んだ言葉や物語に触れたり、良識ある大人に(時に厳しく)諭されながら、それを道徳として身に着けてきたと思います。

嘘をつく行為は、しばしば人との信頼関係を破綻させ、実際の出来事との整合性に混乱をきたし、場合によっては不必要なまでに双方の思惑を複雑に交差させ、本来の話の本筋を見失わせてしまうなど、嘘のつき方によっては様々な危険を内包していることは周知のとおりです。

けれども、それとは逆に、事実と異なることが語られることによって、誰かが救われるというような、善意のウソというものも世の中には意外にしっかりと存在することもまた一般的な認識であるように思います。

もちろん、世の中には極端な人もいたもので、例えば十八世紀の後半、ドイツ観念論の祖と言われる哲学者I・カントは、いつ・いかなる状況においても嘘をついてはいけない、という考え方を徹底して世に説きました。それは彼の晩年の論文『人間愛からならば嘘をついても良いという、間違った権利について』というタイトルからして、そのスタンスは実に明確なものでした。人が道徳(善意思)に従うことを絶対的な善とし、いかなる状況によってもそれが左右されてはいけないというのが彼の主張です。

カントの主張の正否についてはひとまず置いておくとして、改めて考えると私たち介護職員は、ご利用者様の支援を行うにあたって、実に日常的にウソをついていると白状しなければなりません。

例えば、通所のご利用に対して否定的なご利用者様には、「送迎付きでお仕事に来ていただいています」とご説明することで納得してご利用いただいたり、毎回入浴を拒否される方に「ここは温泉ですよ」とか「主治医から治療のために必要だと言われました」などとお声をかけさせていただいたり、お食事が進まない方に「これはお薬ですよ」とか「娘様が作ってくださいましたよ」とお話をさせていただいたりと、枚挙にいとまがありません。

「人間愛」というような抽象的な話ではなく、私たちは、(カント先生からは大目玉を食らうでしょうが)認知症を患われた方々の世界観の受容の形として、支援を行うための一つのツールとして、ウソを利用しています。真実ではない言葉という性質上、賛否はあると思いますが、先の例で言えば、ご利用者様が家に引きこもってしまう、栄養が取れない、清潔が保てないなどのリスクを考慮すると、時と場合によっては〈ウソ〉が必要になることも私たち現場の〈真実〉であるように思えます。

この原稿のあらすじを考えた時、私は真っ先にディズニー映画の『ピノキオ』を思い浮かべました。映画の中で、主人公のピノキオが悪い嘘をつくと鼻が伸びてしまうというシーンがありますが、もし彼が介護職に従事し、先の例のようなウソをついたら、その鼻はやはり伸びてしまうのでしょうか?

そんな想像をしながら新春謎かけをこれ一つ。「ピノキオの嘘」とかけて「お餅」と解く。その心は、どちらも「つくほどに伸びるでしょう」……お粗末さまです。

本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

(月刊千葉ニュータウン2018年1月13日発行号所載)

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