ちばにう通信

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シーシュポスにシンパシー

投稿日:2017年6月16日 更新日:

佐伯 咲

(「月刊千葉ニュータウン」2017年6月10日発行号所載)

 施設系の部門に勤務していた時の話です。

朝、出勤してナースステーションで夜勤帯の申し送り情報の収集やその日の入退所の確認をしている時からすでに、少し離れたところにある食堂から張りのある怒声が複数飛び交っているのが聞こえてきました。どうしたのかしらと食堂に赴くと、「もう誰も信用出来たもんじゃない! あんたらはうちの家族と共謀して私を殺そうとしている!」そう言って、Tさんは声を張り上げながら机を何度も叩いていました。

スタッフに話を聞くと、朝食が済んだのでお薬を飲んでいただこうとしたところ、「それは何だ」と突然目の色が変わり、「そんなもの今まで飲んだことが無い!」と不穏になられてしまったそうです。言うまでも無く、そのお薬は毎日飲んでいらっしゃいます。T氏は普段はとても温和な方なのですが、唐突にスイッチが入ってしまうと、だれかれ構わずかなり辛辣な言葉を言われることがあります。Tさんをなだめようと介入した職員の腕には、勲章のような大きめの爪痕と青あざが出来ていました。その様子を見ていた他利用者様も「うるさいから黙らせろ!」と語気を荒げられたり、明らかに動揺してそわそわと歩かれたりと、にわかに辺りが穏やかならざる状態になります。

事例としては日々様々ではありますが、介護施設の日常によくある風景の一部です。

以前友人から「介護職って大変そうだけど何が一番大変?」と問われ、その時に即答ができず、私なりに色々と考えてみました。いわゆる3Kや、体力面、不規則な生活、利用者様からの暴言・暴力、意思疎通の困難さや、それらに伴う精神的な負荷等々……。状況により様々ですので、やはり一概には言えません。けれども強いて言えばそれらの「日々が継続していくこと」は一つ大きな要因かもしれません。

『神々がシーシュポスに課した刑罰は、休みなく岩を転がして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂まで運び上げると、岩はそれ自体の重みでいつも転がり落ちてしまうのであった』(カミュ著 清水徹訳『シーシュポスの神話』)

 介護だけの話ではなくなってしまいますが、日々仕事をしていると、どうしても疲労やストレスなんかを抱えこんでしまう時があり、そういう時はどうしても思考の視野も狭くなってしまいます。シーシュポスの例で言えば、目の前の岩しか見えていない状態です。

けれども、そんな中でも多かれ少なかれあらゆる局面において、ふと力が抜けて急に視界が開ける瞬間が訪れるのもまた同様に事実です。先程のTさんのケースでも、何とか時間をかけて対応し、最後には可愛らしい笑顔に戻って服薬をして頂いた時、良かったと胸をなでおろし、そこにやりがいをすら感じることができます。

もちろん、いつも上手くいくとは限りませんし、そんな時、本来的な意味合いでの神話解釈が脳裏をかすめることも白状します。ただ、岩は一生懸命押していればいつか頂上に達しますし、自分の手から離れていくことを知っています。そして下山をするつかの間のあいだは、恐らく肉体的にも精神的にも自由です。あるいは山から見下ろす風景を楽しめるかもしれません。

そんな想像をしながら、日々視野を広く、力を抜いて、それでいて懸命に業務に取り組んでいこうと思います。

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