ちばにう通信

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手作業から見えること

投稿日:2006年6月10日 更新日:

まわりの風景もすっかり青葉若葉に包まれて、今年もまた、植物の生長にとっても大切な梅雨の頃を迎えた。

五月晴れの下で薫風の清々しさを味わう機会も少なく、天候不順の続いた5月、たまの晴れには、作業に明け暮れすることとなった。日照不足の影響する作物がなくもないが、やはり今の時期ともなると、その生長や変化は一日がものを言う。

さらに強風も続いたので、サヤエンドウの茎が折れたりもしたが、しなやかに対応したようで、また次々と花を咲かせ実をつけてくれているから、空を見上げながらの収穫となっている。

ましてや草たちは、不順な天候もものともせず、すごい勢いで育っているので、これからしばらくは草刈りの作業も待っているのだが、たい肥の材料にもなるし、敷き草にもかかせないので、大切な作業でもある。

生命力旺盛な植物の影響だろうか、時折、体力ぎりぎりまで作業をやってしまうこともあり、「これも欲?」と、以前からすればかなり物質的な欲は卒業したとはいえ、ふと戸惑いを覚えるのもこの時節なのだけれど。

ところで近年、これまであまり見かけなかった草が現れては増えている。増え過ぎても困る類もあるので、その対策に追われるようにもなっている。様々な要因が考えられるが、遊休地等が増えたり、農業の機械化で隅々まで細やかな手入れが行き届かなくなったことも、そのことを助長させているのだろうし、さらには地球温暖化の影響もあるかも知れない。何れにしても、耕作地はトラクターで一掃出来ても、そうでないところはやはり人の手によって細やかな手入れをして行く他はない。

そんなことに気がついたのも、機械や資材に頼らず、殆ど手作業でやっているからのことではないかと思う。前にも書いたが、私の場合、「出来る限り草を取らない、肥料を施さない、耕さない」というような、ありのままの自然を生かして作物を育てる方法を主としている。

食べ物を作るとはいえ、否そうだからこそなお、自然を壊すようなことはなるべくしたくないし、後に「つけ」を残したくないという思いもあってのこと。

これまでの体験といってもささやかなものではあるけれど、10数年の間には他の方法も試みたりもしたが、漸く自分の思いと感性と何より体力に適した方法にたどり着いた気がしている。もちろん完全であるはずもないが、自身に無理もなく、楽しさも味わえるから合っているのだろう。

当然ながら、機械に頼らないということは、かなり“効率“は低いことになる。が、それは様々な対象物にとても近くなることでもあるから、自ずと細やかな観察も可能になる。こぼれ種による苗も着実に生かせるし、草たちの世界も覗けるからおもしろい発見もある。プラスチック等(!)の異物も取り除けるし、ミミズを傷つけることも少ない。

というように、手と足と頭と心を使い、体力、気力、知力を隅々まで届けることが出来るのも手作業ならではのこと。とは言っても、機械とは違い人間は生身、当然限られた広さまでということになるけれど。まあそのあたりが「高齢化社会向き農業」に適しているのではと思える所以でもあるのだが。

作物を育てて見ようと思い立った際に、数ある農法、育て方の何れに取り組んだとしても、充分それなりの成果は得られると思う。またいくつかの方法を試みることも、それをする人の感性や体力に相応しい方法を見いだすことに繋がると思えば、貴重な体験にもなるだろう。

一人ひとりおかれた状況が違うのは当たり前のことであるし、知識や技術が絶対条件でもなければましてや目的でもないのだから、まずは楽しく取り組める方法から試して見ることも一つの手段と思う。性急に結果のみを求めたりしなければ、やがて、思いはもちろん、「生き方」そのものも反映するようになるに違いないのだから。

願わくは、漸く「食の安全」に対して、多くの人が関心を持たざるをえなくなった今だからこそ、規模の大小にかかわらず、生産にたずさわる際には、自然への負荷の少ない方法も考慮したり、様々な資源の枯渇も視野に入れて、取り組んで行ってほしいものだが。

(写真)どこまで伸びるか楽しみなサヤエンドウ

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