ちばにう通信

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現状維持バイアスについて①

投稿日:

佐伯 咲

 お昼時、デイサービスのフロアから、ご利用者様のSさんがスタッフに何かを力説している声が聞こえてきました。Sさんは、かねてより理論派として鳴らしている方です。

その様子をのぞきに行くと、お昼ご飯のお味噌汁をズボンにこぼしてしまったようです。Sさんは事態の収拾をはかるために「今から家に帰って取り替えて戻ってくる。だから家まで送ってほしい。(送迎の)準備ができるまで自分はここで待っているから」とお話をされているところでした。対応しているスタッフは「別室でズボンを脱いでいただいて、ちょっと洗ってから乾かしましょう。ほんの十分もあれば終ります」と提案しています。すると、「そんな手間のかかることをしなくても良い。何ならタクシーを呼んで帰るから」と引きません。

お話を伺っていると、Sさんが本当に自宅に戻って着替えた方が手っ取り早いとお考えになっているということがよく伝わってきました。

Sさんについて理論派という表現をしたのは、なにも愛のある皮肉でもなんでもなくて、実際に年相応以上の精神機能の低下が見られる方でもなく、自分の生活の随所にしっかりとしたルールを持っていらっしゃって、それが実に理路整然とした独自の考えのもとに行われている印象がありました。そんなSさんが、一見すると非合理とも思えるようなことをおっしゃったので(日常のほんの些細な出来事と言ってしまえばそれまでですが)純粋に興味を喚起しました。

おそらくSさんの中で、変化や未知のものに触れるよりも(リスクを回避し、安全を取るために)現状を維持したくなるという「現状維持バイアス」が働いていたのではないかと考えます。それは、人間なら誰しも持っている心理で、例えば、いつも似たような服やお店を選ぶとか、今日からこれをやる(ダイエット等)と決めても結局三日坊主になってしまうとか、それらはすべて現状維持バイアスが働いているからだと言われています。

Sさんはデイサービスでは入浴などもされてはおらず、今までデイサービス内で服を脱ぎ着する(新しい経験)ということを行ったことはほぼ無かったように思います。それに対して、車に乗って家に帰ることや、家で洋服を着替えることは、Sさんの日常の中に組み込まれているプロセスです。

介護職の支援の大原則の一つに「その人の生活環境をなるべく変えないこと」があげられます。生活歴の尊重ということももちろんありますが、ご利用者様がストレスなく安寧に過ごすため、というのが大きいように思います。それこそ人によっては、認知症の有無を問わず、日用品(石鹸やハブラシ等)のレベルで馴染んだものが周りに無いと混乱されたり、不穏になられたりすることもあります。

Sさんの事例では結局、職員が時間をかけてお話をさせていただき、ご納得されて、こちらでズボンを乾かすことを了解していただきました。

私たち介護士は、ご利用者様といかにコミュニケーションを取るかを常に模索しておりますが、それが漠然とした性格の理解であるとか、会話術だけにとどまらず、心理学とかそういった、もっとアカデミックな見地から学んでみたいなと自分なりに改めて考えさせられた事例でした。

(月刊千葉ニュータウン2017年11月11日発行号所載)

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