ちばにう通信

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眩しいほどの精気が漲る、生命の始まりの季節

投稿日:2005年5月14日 更新日:

畑のいたるところで、草や野菜が顔を覗かせている。昨年それぞれにこぼれ落ちた種が元気に芽を出してくれたのだ。無闇に耕さない畑はまるで生き物たちのゆりかご。周囲の木々も次々と若芽を出したり、花を咲かせている。生命の始まりの季節は眩しいほどの精気が漲る。

日ごとに北上する桜前線が、国内各地の春の訪れを知らせてくれるようになって久しいけれど、この時節、桜に限らず自然界に息づくあらゆる生命が、日ごとどころか一瞬一瞬変化の中にある。そのように一瞬たりとて同じ状態にあらずというのが自然の本来のあり方であろう。そのことを改めて実感させてくれるのが、たくさんの生命が躍動を始める、二十四節気でいうところの「清明」のまさに今なのだ。そして自然界に存在するものは等しく、自然のリズム(法則とも言える)の中に組み込まれいるという事実も、素直に受け止められる。

そんな行く春を満喫したいところだが、どっこいこの時期そうも行かない。畑の準備や種まき、苗の植え付けにと何かとすることも多い。でも考えて見ると、それらの作業が出来るのも春の光と土と水等の条件が整ったからこそのこと。案外深く味わっているということかも。

さてその春の作業の様子が大分変わって来ている。種まきひとつとっても、様々な農業用資材の力を借りてかなり早めになっている。もちろん植え付けも同様に。かつてはその土地の気候風土の中で、季節を迎えれば現れる自然現象等を目安として、様々な作業をしていたと聞く。が、“便利”な資材の出現は、随分状況を変えてしまったようだ。そこには“より早く、効率的に”と考える人間の都合も加わってのことだろうけれど。

そんな中、自然農の畑はあくまで自然のリズムの中で生命の営みが始まり繰り広げられる。どんなに「もっと早く!」と急かせたところで、光、土、水等の条件が整わなければ芽は出ないし、成長もしない。こぼれ種が芽を出し成長する姿がそれを教えてくれる。なのでそうして育った野菜等を、なるべくそのままにしている。学ぶことも多いし、未熟な私が手をかけた(過ぎ?)ものよりしっかりした大根や菜っ葉だったりもするのだから。

特に、その逞しい根には驚嘆させられるが、そのような“自立した”野菜を育てたいと思う。そのぐらい生きる力の漲る野菜なら、刻々と進行している地球温暖化にももしかして生き延びてくれるかも知れないと思えて来たりして、温暖化の原因と解決は他のところにあることをわかりつつも、自然の知恵にゆだねたくなる時がある。

(本稿は、4月号掲載の予定でしたが、編集の都合で今号に繰り延べました。季節の話題が若干ずれている感じがするかもしれませんが、ご了承ください)

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