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第四十三回 獅子舞(ししまい)

投稿日:2006年5月13日 更新日:

獅子とはなにか

「印西風土記」第一回はオコトであった。そこで私は春の農耕の始めの儀式としてのオコトについて書き、獅子舞が奉納されることを述べた。

今回は、現在も伝承されている印西市平岡、別所、和泉、本埜村中根の「獅子舞」を通してその姿を紹介してみよう。

「獅子」を辞書で調べると、けもの、獣、しか、いのしし、ライオンなどと出ているが、印西地方の獅子舞で使われている獅子頭はどれにも似ているようで似ていない。東北地方には明らかに鹿の頭と判る面を被ったシシ舞が伝承されているが、印西地方の獅子頭は八世紀ころ中国から伝来した伎楽や舞楽に伴ってもたらされた、アフリカに棲む百獣の王ライオンを東南アジアで想像して作られた疑似ライオン・獅子のバリエーションであるらしい。

平岡、中根は前述のとおり春の農耕始めのオコトの行事として奉納されたが、今は中根では四月第三日曜日、平岡は五月三日に行われている。

オコトはかって四月二十八日前後に行う集落が多かった。印旛村山田、萩原でも昔は四月二十八日をオコトとし獅子舞が行われた。四月末は稲の籾蒔きが終わり、忙しい田植えが始まる前の一日を束の間の仕事休みとし、獅子舞を演舞して豊作を祈念し、酒や料理を持ち寄って楽しんだ。

別所の獅子舞は孟蘭盆にあたる八月二十三、二十四日に行われる。また獅子舞の多くが神社境内で奉納されるのに、ここだけは宝泉院と地蔵堂前の仏教寺院に奉納される。以前は春夏秋の三回行われたと伝えられているが、夏だけ残されたのは、炎暑に発生する害虫から作物を守り、人を襲う悪疫から身を守る祈りを込めて舞われたのか。

和泉の獅子舞は「いなざきの獅子舞」として九月二十三日の秋祭りに鳥見神社に奉納される。「いなざき」は「稲の収穫を前にして」の意味で、秋の豊作を感謝する気持ちを表現していると言われる。

三頭獅子

これらの獅子舞の主役は三頭の獅子である。

平岡ではじじ獅子・せな獅子・かか獅子、別所では雄獅子・中獅子・女獅子、和泉では大獅子・中獅子・女獅子、中根ではおやじ獅子・せな獅子・かか獅子と呼ばれている。呼び方は異なるが、壮年の雄獅子、若獅子(せな)、雌獅子である。

三頭の獅子は写真のような扮装(頭飾り、着物、袴などの形や色彩にそれぞれ特色があるが基本的な系統は同じである)で腹部にくくり付けた小太鼓を叩きながら道笛に導かれて会場に登場する。

印西町史・民俗編(平成八年刊行)によって別所の獅子舞の構成を見てみよう。

「楽人(笛師)二人、獅子が三頭、花笠持ちの児童が四人出演する別所の獅子舞は、道笛に始まり、鑽仰の舞、愛楽の舞、鎮護の舞、降伏の舞からなっている。舞は全体を通じて雄獅子と中獅子の勇猛な舞が厄除け地蔵尊の悪疫退散の誓願を表し、三頭の獅子が揃って四方の花笠を中心に舞うのは四方固めを表現し、雄獅子が女獅子に示す深い愛撫の姿は歓喜心を表している」。

獅子舞の演目には幾つかの共通する演題がある。「四方固め」「綱(弓)くぐり」「喧嘩の舞」などである。

「四方固め」は、舞いの場を固め清めることと舞いの開始を告げる意味を持つ。

「綱(弓)くぐり」は、低く張られた綱や弓の間の狭い空間を潜り抜ける、勇気と体力を誇示する所作である。

「喧嘩の舞」は、じじ獅子とせな獅子がかか獅子に強さと若さを示すために闘う舞いで、生殖行動と子孫繁栄の意思が籠められているとされる。

これを具体的に見せてくれるのは、和泉の獅子舞にだけ登場する「道化」である。

「道化」は、写真のような異様な風体をし、渦巻状の溝のある四十センチほどの木製の金精様に半紙や水引で化粧したものを携え、獅子舞の周辺で見物の女性たちにセクシャルな所作を仕掛けて笑いを誘う。

二〇〇一年四月、ブータン王国のチベット仏教の春祭で、鼻が異常に大きな面を被り、木彫りの男根を振りながら登場した道化を見たとき、遠く離れた印西の獅子舞と繋がっていることに大きな驚きと、深い感銘をうけた。

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