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花は盛りに、月は隅なきをのみ見るものかは

投稿日:2017年4月16日 更新日:

佐伯 咲

(「月刊千葉ニュータウン」2017年4月11日発行号所載)

 はじめまして。印西市内にある老人福祉施設で、介護職員として日々せわしなく高齢者の方々のお世話をさせていただいております、佐伯咲と申します。実に散文的なご縁があって、介護の仕事に従事してから早幾星霜、通所系・入所系の部門をいくつか経験し、現在は通所介護事業所に勤務をしています。
これからこちらで、介護の現場に身を置く者の一として、現在何かと取りざたされることの多い「介護」にまつわる四方山話を、この仕事を通じて見聞きしてきたこと、感じたことを徒然なるままに書き連ねていければと思います。どうぞよろしくお願い致します。

 この文章を綴っている三月の中旬頃は、日中の暖かさの中にもまだ風の冷たさが残っていますが、ユキヤナギやこぶしなども街中に咲き出し、だんだんと季節が春に移ろうさまを楽しめるようになってきました。冬の間じゅう枯れていた桜並木の枝々にも、固いつぼみがうっすらと赤く色付き始め、いよいよ多くの日本人が待ち望む花見の季節を予感させています。
そして、この文章が紙面となる頃にはきっと、ソメイヨシノも群れをなしてひとしきり春爛漫と咲き誇り、もう葉桜に向かっているさなかでしょうか。人によっては、その様子を見るにつけ「もう散っちゃったね」なんて感想を漏らしているかもしれません。満開の桜がいかに殊勝であるかは、多くの人の一致した見解であるように思いますが、けれども桜は花をつけている時だけがそのレゾンデートルを発揮するものかと言えば、それはそれで否であるように思います。時の移ろいを内包し、季節ごとに見せる姿の、その全てが多くの人に愛でられたあの桜のなのだというふうに。
 高校の頃に教科書で読んだ、鎌倉時代の歌人、吉田兼好の『徒然草』のなかでも、『花は盛りに、月は隅なきをのみ見るものかは……垂れこめて春の行衛知らぬも、なほあはれに情深し。咲きぬべきほどの梢、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ』(傍点省略)という風に、花は満開の頃だけでなく、桜の花びらが散り舞う頃もまた趣深いものだと語っています。
語弊を恐れずに言えば、人もまたそれと同様であるように思います。ご利用者の方々が、「昔はあんなにも元気だったのに、今じゃこんなに老けちゃって~」なんてお話しされているのをよく耳にします。確かに、お伺いする若い頃の武勇伝の主人公(ご本人様)のような、現役バリバリ花の満開の頃という訳にはいかないのかもしれません。それがいかにご本人にとって悔しくもどかしいことなのかもとてもよく伝わってきます。   それでも、とても表情豊かに、皆で賑やかに老い自慢(自分の具合が悪いところを列挙しあい、いかに多くの薬を飲んでいるかを競い、それでも自分が人よりもまだ健康であることにちょっぴり安堵したり)をなさっている姿を見るにつけ、今ある時代の趣き深さを感じ取ることができます。一つの時代、特に日本の高度経済成長をそれぞれの立場、仕事で担ってきたという勇姿なども、そこに見ることできます。
兼好は流石の世捨て人、「部屋に籠って春の行方を知らないでいるのも趣深い」などとも書いていますが、我らが通所介護事業所は、そんなことを言っている人をお外にご案内するのも一つの大義、それでなくとも折角の芽吹きの季節ですので、来たる満開の時期を想像しつつ、スタッフ一同で楽しげなお花見の計画を立てています。

 

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