ちばにう通信

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豊穣の時に向かう 野菜、ミミズ、微生物たち

投稿日:2005年6月11日 更新日:

いよいよ梅雨入りの頃を迎えた畑では、様々な野菜たちがそれぞれの場所を与えられ、豊穣の時に向かう準備についている。今後の気象がどのようになろうとも、ただひたすら受け止めてゆく力を秘めているかのように、まだ小さな苗でも逞しさを感じさせる。やがて夏から秋の食卓をにぎやかに飾っては、豊かな味わいとともに、感謝と喜びの思いをもたらせてくれることだろう。

例年なら梅雨入りを心待ちするようなことはあまりないけれど、少々待ちわびるような日々が続いた。漸くの雨に、周囲の草木も野菜たちも一息ついた様子で、小さな苗も葉には大きな滴を乗せて、精一杯の姿だ。同時に地面の下の見えない部分でも、生命の営みにつながる自然現象が、ダイナミックに繰り返されていることも想像させてくれる。どんなに水やりをしたところで、雨にはかなわない。量的なことはもちろんとして、やはり雨には自然の循環の中で蓄えられた、何か大切な要素が含まれている気がする。科学的な説明は専門家に譲ろう。雨に濡れて生き生きしている草木の姿はそれを物語る。

それでも自然農の畑では、野菜の株もとを刈り取った草や落ち葉たい肥等の有機物で覆っているし、土がむき出しのところも少ないので、かなり乾燥は防げている。

だから雨が少なくとも、草の下にはミミズも微生物も健在である。ご存じの方も多いと思うが、肥沃な土では、一グラムの土に、およそ一億もの微生物がいるという。

数えたわけではないが、土とかかわり始めて、生命を感じられる土とそうでない土との感覚がはっきりわかるようになったことで、それは十分納得出来る。その働きから言えば、微生物やミミズのような土壌動物もすめない土では、結果的に多肥料にならざるをえないし、それでは生きた土とは言えないだろう。そのことは、広葉樹の森や熱帯雨林のような、自然の循環のみで生命が豊かに育まれてゆくのを見ればわかることである。

現代社会においては、人間の営みが自然の循環を断ち切ってしまうことが多いのだが、私も土と遠く暮らし生きていた頃は、その実感もあまりなく、自分のしていることの結果にも思いをはせることが出来なかった。でも今は畑の野菜たちや草木の生命とも、土や水を通して見えないつながりの中にいるのを実感できるようになったので、暮らしの中でも、台所から出る物の始末に始まり、少しでも循環の輪を切らずにすむようになったのはうれしい。

いつの頃からか、たとえ僅かでも本来の生きた土を蘇らせることができたらと思うようになったのだが、それは、他ならぬ、生命の源であるガイア、母なる地球(大地)への感謝の思いが生じてきたからなのだろうか。

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