ちばにう通信

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(第4回)白井の春

投稿日:2016年4月18日 更新日:

暖かなある日、木蓮のビロードのような芽に気づく。そろそろ花が開くと思う頃。辛夷、レンギョウ、ユキヤナギも次々と咲き揃い、そして最後に桜の花が、期待を裏切るまいとばかりに開花する。

花曇りの桜、晴天の青にふちどられ静かに花開く桜、雨の下の桜・・・・。

「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」とはいうものの、青い空の下、陽光を受けて白く咲く満開の桜はことのほか優美だ。しかも一輪一輪よく見ると、決して咲き誇るという風情ではなく、むしろ謙虚ですらある。

「花は桜木、人は武士」と言って、散り際の良さが評価されたけれど、散り際のみならず、世俗を離れた無心な風情で超然と咲いている姿に、私は心惹かれる。

しかし最近の桜の木は、側を通る人の都合を考えて枝を払ったものが多い。桜は梅と違って、枝は切らぬ方が良いと言われている。枝を払った桜は、一件桜かどうかわからない。風情が損なわれ興醒めだ。とは言え、今は何につけても人間の利便が最優先の傾向にあるから、自分の敷地ならいざ知らず、公道に植えられた桜の木に関しては贅沢は言えない。

その点、東京は小金井公園の桜は、人間の都合に合わせて剪定されることがないとみえて、豊かに花の付いた枝がたわわに垂れ、見応えがある。

桜は花が終わった後も品がよい。木蓮は枯れ始めると白い花弁が茶色くなり、地上に落ちた花はなかなか朽ちずに無残な姿を晒し続けるが、桜の花はさらさらといつの間にか砂のようになって漸次消えてしまう。

さて、花が終わるのを待たずに、落葉していた樹々が芽吹き始める。

夏にはみごと一律に深緑になる葉の色だが、春には微妙に色合いの異なる若い芽が萌えいで、織りなす緑のグラデーションは花の美しさに優るとも劣らない。

そのような季春の一日、五歳の孫と散策する。藪から鶯の啼き声が聞こえ、道路沿いに植えられた低めの生け垣の中を、目白が群れをなして飛び渡る。以前は調整池に棲んでいたカワセミは姿がみえなくなった。孫は池で甲羅干しをしている亀の数を数えたり、鳥の名を訊いたり、野の花をつんだりと無心に春を楽しんでいる。

タンポポ、菫も咲き出した。ハコベもしっかり根を張って、仏の座、カラスのエンドウとともに健在だ。青い小花が美しいオオイヌのフグリも群れ咲いて、雑草と言われている植物の強靱で伸びやかな姿に魅了される。

孫が摘んだ野の花は、家に帰って自分で小瓶に生け、棚に飾った。清楚なかわいい生花を見て、孫の母である私の娘は言った。

「白井はきれいネェ。それに便利だし」

二十数年前、不便な白井と嘆いていた娘。私は思わず、クスリと笑ってしまったのだった。

(平成28年4月9日付)

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