ちばにう通信

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(41)季節の中で

投稿日:2007年7月14日 更新日:

最近は世界中が異常季節のように思われます。季節が季節らしさを失って異常になると、つくづく季節がごく自然にめぐっていたノーマルな時代がなつかしくなります。

夏は暑いに越したことはありません。夏が暑いからこそ「一杯のかき氷」に幸せを感じ、すだれを吹く風の涼しさに「あぁ極楽極楽」と思うのです。

去年のはじめ「枕草子」を読み返してみて、そこに書かれていたのは四季折々の生きる歓喜といったものだと思いました。そしてそのことを、この「元気にな~れ」で書き、そうそう「春はあけぼの」で始まる春の頃でした。また、いつか続きを書きます、といってそのままになっていたら、読者の方から「いったいいつになったら書いてくれるのですか?」と言われ、「そうでしたねぇ、申し訳ない」とお詫びして、少し書くことにしました。

学生時代よく読まされましたが、清少納言が生の歓喜にこれほど陶然と酔いしれている人であるとは考えたことはありませんでした。

彼女の心をときめかせる夏の風物は「夜」「月の頃」なんです。闇の中を飛ぶ蛍の華麗なはかなさは、どんなに彼女の胸に染みたでしょうか。

また、秋の夕暮れの空を仰ぎ、鴉が水平に飛んでゆくのを「みつよつふたつなどとびいそぐさへあわれなり」と見つめている心は、まるでマーラーの第三番の哀傷深い終楽章が消えてゆくような感じさえします。

清少納言は知的な才女といわれていますが、四季の折々に自然と人事がもたらしてくれる生の楽しさを、おいしい飲み物のように味わっています。知的であるよりは微妙な感じ方を楽しむ感性の人であることが分かってきます。

一見自分の好き嫌いで「をかし」「わろし」と書いていますが、それは価値評価ではなく、喜びがどんなものに強烈に感じられるかの告白と見られるべきでしょう。

季節の移り変わりを、あたかもスクリーンに映る美しい映像のように眺めた日本人の心の豊かさを書きたかったのだと、今は思えるようになりました。春夏秋冬に訪れる季節の気配を「こよない良い贈りもの」として受けとめる心があれば・・・・。

思えば、私たちも「季節」の中にいると自覚することで、どんなに日々の無感動な惰性的生活から救われていることでしょう。

つまらないオマケを書きます。昔、桃屋のCMで三木のり平扮する〝江戸むらさき式部〟が机に向かって原稿を前に『私、お腹がすくと何も書けないのです』と言うのがあって、「私も同じよ!!」と喜んだことがありました。清少納言というと大納言というおいしい小豆を想い出し、とたんに小豆のあんこが食べたくなり、今コトコト煮ています。

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