ちばにう通信

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(42)靖国神社直行

投稿日:2007年8月11日 更新日:

今年も八月がやってきました。原爆と敗戦の月、また戦没者慰霊の悲しみの月です。今、戦争のない平和な日々が続いていますが、いろんな人たちの尊い犠牲の上に今日があることを忘れてはなりません。

私の心に残っているお話を二つ書かせていただきます。

以前私は「暮らしの手帖」の熱心な愛読者でした。昭和三十五年頃、この雑誌の編集長でいらした花森安治さんに伺ったお話です。

・・・・兵隊さんたちは一人残らず真鍮製の小判型の小さな札を持たされ、両端の穴にヒモを通して肩からじかに肌にかけていました。札には部隊記号とその兵隊の識別番号が乱暴に打ち込んであり、札は、風呂に入る時でも、どんな時でもはずしてはいけないと命令されていました。野戦では、風呂などめったに入れないから白い木綿のヒモはすぐにどす黒くよれよれになり、打ちこまれた数字にはアカとアブラがこびりついていました。

戦死した時に身元を確認するためのもので、「認識票」というのが正しい呼び名でしたが、兵隊さんたちは「靖国神社のきっぷ」と言っていました。

行軍に疲れた兵隊さんたちがきまって話題にしたのは、食べ物と家に帰る話でした。ここから日本へ帰るにはどうしたらよいか、大まじめで研究しましたが、いつもぶつかるのは海でした。陸地は何とかたどって行くにしても、朝鮮海峡までくると、それまで活気のあった会話がいつもポワンと切れ、皆黙り込み、疲れた足を引きずりながら「ああ、帰りたいなあ」と思ったそうです。

そんな時です。ひょっと肌の認識票が意識されるのは・・・・。

「靖国神社直行」、日本に帰る一番の近道にはちがいないわけです。

・・・・ある航空隊で同じ釜のメシを食った戦闘機乗りは、生まれたばかりの子供と対面する間もなく、フィリピン海戦での特効出撃を命じられた、せめてこどもの声だけでも聞きたい。

上官の計らいでフィリピンの航空基地から日本に電話を入れることができた。が、妻の腕に抱かれた女の赤ちゃんは、おとなしく声ひとつたてない。妻はやむなく赤ちゃんのお尻をわざとつねって、赤ちゃんの泣き声を海のかなたの、まもなく死地に赴く若い父親に聞かせたという。

・・・・ここで、書けなくなってしまいました。

戦争でいちばん悲しい思いをするのは、女性です。最愛の夫を、息子をとられるのですから!!

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