ちばにう通信

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(6)知らぬが仏 知らぬが感動

投稿日:2004年8月14日 更新日:

友人に「京都の竜安寺に行くので一緒に行ってもらえない?」と頼まれて少々困っています。

友人にとっては二度も行きそびれたお寺とのこと。一度は修学旅行で行くことになったが「おねしょ」が心配で行けなかった由。二度目もあったが、この時はお金がなくて行けなかった。おねしょコンプレックスもまだあったが、むしろ貧しくて行けないという理由にほっとした面もある。つらいものが一つだと、いかにもつらいが、つらいものが二つあるとお互いのせいにして、むしろ楽だった、等と話されると、鼻の奥がツンと痛くなり、何とかしてあげなければ・・・・という気になって悩んでしまう。

ということで、とりあえず私の知っている「竜安寺」について少しでもお仕事の参考になればと、書くことにしました。

大坂にもお寺の好きな友人がいて帰阪した時は二人で訪れたものです。が、もしも何も知らずに初めて行ったら感動するでしょうね。

たとえばこのお寺がぜんぜん無名で、たまたまお住職と道で知り合い、「ちょっと寄ってみませんか」などと言われて、気軽にこの石庭の縁側に立ったとしたら、やはり驚くでしょうね。「何?これ!」という感じで、思わず縁側に座り込んでしばらくじーっと眺めてしまうのではないでしょうか。

でも、今はもうそれを知っています。頭で知っていてそれを演じるということになってしまいます。

竜安寺に限らず、いまは何ごともそうなんです。「外人になれたらいいな」と思うことがあります。今の世の中で感動を得るには、できるだけ無知でいるに限る?

竜安寺に行かれた方も多いと思いますが、縁側の手前のところに模型の石庭が置いているのをご存じでしょうか。ミニチュアの石庭で、展示のカードが置いてあって、目の不自由な人のために石庭を指で触って感じてもらう。

そのための模型なのです。はじめは、えっ、そこまで・・・・と思いましたが、ぼんやり見ているうちに、何だか心を打たれてしまいました。目の見えない人はおそらくそれに触って石庭の様態を知り、それから縁側に出てじーっと座って・・・・。

もしも感動が数字で測れるとしたら、意外とこの人たちの感動の針が一番大きく振れるのではないかしらと思ったものでした。

見えることで失ってしまうものもあるのですね。

さて話は変わりますが、八月十五日は終戦記念日です。日本がどこの国と戦争したのかも知らない人が増えています。「えっ、アメリカと?! ウッソー、小泉さんとブッシュさん仲良しなのに」。

きちんと揃った靴の音、私イヤなんです、たとえそれが平和のためのものであっても。

子供心にあの靴音を残して行った、たくさんの若い生命を思い出すから・・・・。

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