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(第5回)子どもと過ごす時間

投稿日:2016年5月18日 更新日:

夫と結婚する時「子供が成長するまでは家庭に居てほしい」と言われた。夫が望んだからというだけではなく、私自身も子供の側に居て育てたいと思っていたので、私はすんなり「主婦」となり、娘が中学二年になる迄母親として落ち着いた時間の中で過ごすことができた。その後社会に出て二十五年間程仕事をし、そして今また家庭に戻ってきた。

するとちょうど五歳になる子供を育てている最中の長男と長女は、最初は遠慮がちに、そして次第に気軽に孫を祖母である私に委ねるようになってきた。自分の子供を育てている時は、若くもあり、経験も浅く、親という負担も加わり、真面目な面が勝って、育児を楽しむという余裕がなかった。しかし今は自分の子供を通して得た経験と、支援学校での生徒との体験を経て、私は子供がとても好きで、自分が子供に対して柔軟になったという実感を持っている。

「遊びやせんとや生まれけむ」の通り、子供にとっては遊びが生活そのものだ。

体を動かすこと自体が楽しいし、料理の手伝いは、自分ができることを増やすための挑戦でもあり感触遊びでもある。危険を回避する態勢を整えてから作業をさせると、実に生き生きと嬉しそうだ。二歳前の孫が卵をわり、三歳になれば小麦粉をふるいにかけて、パンケーキの素をフライパンに流し入れる。

とても手伝いどころではないが、一緒にうさぎやくまの形をつくって焼けば、大喜びで食も進む。自己の目標値を少し上げて、それができた時の達成感は、子供にとって何ものにも替え難い体験だ。とはいえかくれんぼ、積木、タングラムと延々と続く遊びに大人は息を切らす時がある。

しかしとことんつきあい大人が子供と心から楽しむと、子供の心は充足し、次には大人の事情にも理解を示す余裕を持てるようになるものである。親は子に対して負うものが多いため、時として近視眼的になることがある。そしてその必死さが子を育てるという側面もある。だがそればかり続くと親子ともに疲れてしまうから、時にはかくれんぼで眠ってしまった良寛様の心境に近い祖父母との時間があってもよいのだろう。

そして遊びながらふと考える。

子供が親と居る時間はそう長くはないと。孫と過ごす時間はそれに増して短い。子供たちには親として伝えておくことは、おおよそ伝えられたように思える。あとは自分の判断と選択だ。では孫には残りの時間で何を残していこう。これからの激動を予感させる時代の到来に、伝え残すことは何であろう。市井のささやかな幸せを守るための規範や知恵が、ものの役に立たぬ事態とて皆無ではないかもしれぬ。私の書棚を見て孫が言った。「アーちゃんこのご本全部読むね」と。

この沢山の本を読んで、せめて何か掴みとる迄、激しい変動のなき事を祈った。

(平成28年5月14日付)

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