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(第6回) 日本の戦後とオバマ大統領広島訪問

投稿日:2016年6月18日 更新日:

平成二十八年五月二十七日、米大統領オバマ氏が広島の地を訪れた。アメリカ国内でも賛否両論ある中での訪問であった。原爆投下に対してせめて謝罪の言葉をと期待していた日本人も少なくなかったが、謝罪はしないと来る前から言われていた。

平和記念公園に着くのは四時頃という行程であったので、各テレビ局は昼ごろから警備の様子や沿道に待つ市民の様を映し出し、市民にインタビューする等「歴史に刻まれる日」の演出、報道に余念がなかった。

オバマ大統領の広島訪問に対する期待が膨らむ中で、市民からもテレビのコメンテーターからも平和記念公園に来る事そのものが謝罪に替わるものであり、訪問に感謝するといった言葉が聞かれた。
私は日本人の人の好さと、争い事の嫌いな性向を再認識しながらテレビを観ていた。

中韓に責められれば、していないことにさえ謝り、原爆投下に関しては、大統領の広島訪問という事だけで、わだかまりを昇華させる。市民はよしとしても、政治家や報道人のまとめ方は、これ程単純でよいのかと考えてしまったのだった。

インタビューに応じた市民の一人が次のような発言をした。「もうどこかでくぎりをつけたいですからね。オバマ大統領を見に来ました」と。この発言は理解できた。善いことがあっても、不幸なことがあっても、人はひとくぎりつけようと心の枷をはずしながら、片付けながら前に進む。憎むことも憎まれることも恐ろしい記憶も悔恨の情も、どこかで解放され前に進みたいというのが人情かもしれない。日本では「水に流す」という言葉がある。葛藤から脱け出す清々しい表現だ。

そうこうしているうちに大統領は到着し、一連の行動がテレビで報道された。オバマ氏の誠実そうな表情と、ストイックな体型が望遠で映しだされ、スピーチが始まる。第一声「七十一年前の快晴の朝、空から死が降ってきて・・・・」を聴いた時、美しすぎる表現と、 主体を意図的に曖昧にしたことに反発を覚えた。

しかし十七分に及ぶスピーチ全てを聴き終わった時、大統領の心情、真意は素直に受けとってもよいと思った。世界に於ける矛盾の存在とその超克を語り、広島と長崎を「我々の道義的な目覚めの始まり」と位置づけた。

みごとな総論だ。が、現実政治という側面からみれば矛盾と限界とそれゆえ困難が残る。だが、権力ある米大統領の言動だ。意義を認めてもよいのだろう。しかし、日本は国家自らの問題として、まだ戦後を終結することができない。

私は、戦後とは①敗戦からの復興と国の将来の設計②後世に繋ぐ歴史を整えること、この作業を行う時間だと考えている。国家は個人と異なり「水に流す」わけにはいかない。大統領が述べた「懸命に努力するための理想」「全ての人に不可欠の価値」に近づく為にも、日本の価値観を反映した憲法制定と近現代史の整理を行うべきである。

それができてはじめて、日本は独立した国家として戦後から訣別できるのだ。

(平成28年6月11日付)

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