ちばにう通信

地域をつなぐ「月刊千葉ニュータウン」のサイトです。

HOME > 浅き夢みし

(第7回) ほどほど 塩梅・按配 好い加減

投稿日:2016年7月19日 更新日:

今年も梅雨に入った。

ここ数年の傾向として、梅雨の様子が違ってきている。従来の穏やかで延々と続く、やり切れなくなるような梅雨ではなく、局地的な豪雨や、空梅雨の後の豪雨の様相を呈してきている。梅雨は国土を潤す慈雨であったものが、いまや豪雨の後には必ずと言ってよい程の水害をもたらす。それも今年は、すでに地震や津波、水害に見舞われ復興に至っていない東北、熊本、広島に豪雨が集中し、何とも気の毒としか言いようがない。

転じて社会現象を見ても、他者に対する攻撃姿勢が強く感じられて、来る日も来る日もその状況がエスカレートされ、見るに、聞くに堪えなくなる。

私はインターネットで情報を取り入れることがない全くの文字中心の人間であるから、新聞、テレビと雑誌、書籍による情報に接しているだけであるが、聞くところによるとインターネット情報の過激さは社会問題となりつつある(?)ようだ。

日頃から私は人間の能力を過大評価してはいないから、研究と称して飽くなき追及をしていく今の社会の風潮に大いなる懐疑を抱いている。特に人間が制御不能であることに関しては、研究そのものがもっと慎重であるべきだと思っている。今技術が可能であるからと言ってそのまま進んでいった先に、制御不能な事態が出現した時、いったい人間はどうやってその状況を治めていくのだろうかと懸念が膨らむばかりである。原子力然り、先進生化学しかり、そして人工知能情報等である。

この様な思いを抱きながら、日常の下世話なことにも想いを馳せる。

この数か月ニュースやワイドショーに供される話題は尽きることがなかった。それら社会事象から浮かび上がってくるのは、今や日本は自己の主張の正当性を信じて疑わない人の何と多くなったことか、ということである。今自分が主張している考えの前提にはこのような判断があって、それはこう裏付けられて・・・という掘り下げがあってしかるべきであるが、目前の事象のみから得られる判断と主張が目立つ。もっともな理由を言っている裏に、相手への思いやりや、自分の不便を承知で相手に譲ろうという気遣いは見られない。

総ての人があらゆる事に十全に満たされる世の中は存在し得ない。どこかで譲って、何かを我慢して、それでも大きな災害や事件、飢餓や戦争がなく、日々ささやかな幸せがあれば幸福なのだという認識が現在の人々には(多くの人の傾向として)ないのだろうか。

日本には昔から「ほどほど」という言葉がある。「好い加減」「塩梅・按配」という言葉もある。「好い程合い」「徹底せぬ事」「ほどよく処分すること」という意味だ。どうも最近、物事は徹底すれば理想に近づくと考えている人士が多くなったのか、ある程度のところで治めるという対処法が下位に見られがちだ。しかしそうだろうか。世の事相は複雑だ。今一度この価値を見直してもよいのではないかと思うこのごろである。

(平成28年7月9日付)

-

執筆者: