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(第8回) 生徒達が教えてくれたこと

投稿日:2016年8月20日 更新日:

七月二十七日、テレビのニュースを見ていた時である。衝撃的な事件の発生を知る。画面を追いながら慄然とした。相模原市の知的障害者福祉施設で二十六日未明、元職員による殺傷事件があり、多数の死者、重軽傷者がでたというニュースであった。

私は四十歳から約十年間、養護学校(支援学校)で教師をしていた。主に高等部の生徒を教えたが、教えるという行為以上に濃密な時間を過ごしたという感覚が、今も残っている。一体何が容疑者をして事件を起こすまでの心境に至らしめたのか、今の段階ではわからないが、少なくとも今わかっている容疑者の発言については、否、否と声をあげたい思いで一杯である。特に「意思疎通ができなければ動物です」という言葉に、あの施設で暮らしていて殺傷に遇った人達の無念を想うとやりきれなくなる。

障害を持つ人がどのような困難の中で意思を伝えようとしているのか、接する機会のない人にはよくわからないかもしれない。

私が担任となった生徒の中には、就職の指導を受け、現場実習に行き、職を得て社会に出て行く青年や少女もいれば、肢体にも知的にも重いハンディを負った若者達もいた。寝たきりで自分で体位を変えることもできず、生活のあらゆる場面で介助が必要な少女。視力聴力共に弱く、その上全身の脱力が著しい為、いつも眠っている様な状態にある生徒。筋力異常で発声さえうまくできない少年。聞いて理解することはできても、自分の思うところを言葉にできない子ども。

当時はコンピューターを使って障害を軽減する研究も進んでいなかったから、一人一人全て状態の異なる障害を持つ生徒とのコミュニケーションをとるために、指のかすかな動き、まぶたの開閉、うなずき、発声(単音の)等々、各々の意思表示のツールとして使える所や方法を探すことは必須であった。しかし必死な〝時〟を重ねて、双方の心と体がなじんでくると、どこといわず、存在全体からわかってくるのが不思議でもあり嬉しいことでもあった。

学期初めから一週間程して、いつも目をつぶっていた子が、弱い視力ながら見えているのがわかり、声を出し、笑顔を浮かべて内なる意思を伝えはじめる。修学旅行の清水寺参詣で、車椅子から引いたおみくじが、大吉だった時の少女の笑い声と顔つき。小二の少年は運動の得意な活発で素直な、そして本好きな生徒。だが彼は言葉を話すことができなかった。成長するにつれて、複雑な要求や説明をしたいのに、言葉が出ないもどかしさ。耐えかねて号泣した。忘れることのできぬことばかりである。

趣くままに綴れば十年の想いは尽きない。私は障害を持つ子供達と過ごして、「人は誰もが認められたいのだ」という、私にとっての真実を掴んだと思っている。そこを原点とした時、難しい意思の発受信も、きっと糸口がみつかると考えている。

(平成28年8月13日付)

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