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(11)  医療の受け方

投稿日:2016年11月20日 更新日:

最近よく保険勧誘の電話がかかってくる。医療保険の勧めだ。

加入者の増加を図る為であろう。以前は入れなかった既往症のある者も加入できる様になってきており、又加入可能な年齢も引き上げられている為、私もその拡大枠に入っているのであろう。

どこで名簿を調達したのかはわからないが、国内、外資を問わず、よく電話がかかってくる。代理店からのものが全てで、その熱心さには感心するが、今さら入る気にもなれず、断ることが多いのだが、それでも設計書を送ってくる所もあり、仕事なのだからと思って丁寧にお断りしている。

これら医療保険は利潤の追求が基にあるのだから、保険料と給付金とのバランスは、一定の利潤を基に決定しているはずだ。しかし公の制度である国民健康保険は、国民皆保険であり、元来相互扶助の精神から出発しており、利潤の追求などという姿勢はない。

従って、プラスマイナス0であればこの制度は存続するけれど、制度の存続が危ぶまれるというのが現実のところだ。その度に漸次保険料の値上げという対応になるのだが、安い保険料で(実感としては安いとは思わないが、総て自費で払う金額と比較すると、やはりずいぶんと助かっている)高い給付金を出すのだから、会計が収支マイナスになるのも当然といえば当然なのだろう。

この流れからいけば、今後高度医療も進むと、益々国民健康保険の収支があわなくなることは目にみえている。アメリカの多くの国民が望んでいた公的健康保険制度。この制度を日本が持続させていくための試みで、何が足りないのだろうか。

以前私は国民の死生観について考えたことがある。その時は、死生観と保険の収支とをどう結びつけるのかと一笑に付された。

私の友人の一人に、ほとんど医療を受けずに老後を過ごしている人がいる。自然の体力の衰えを受け入れていくのだと言う。現代の生き方としては特異ではあっても、それが彼女の生き方であると考えれば、それはそれで尊重されるべきだろう。人間らしく薬漬けや医療器具に頼らず、最期を迎えたい人もいるはずである。

私自身も、母の最期の経験から胃瘻はしない、植物状態で生かしておいてくれることは望まない等、娘と日頃から話をしている。娘は早く話を切り上げたいので、短く返事を繰り返して、早々に終わらせる。当の本人である私は淡々と思いを告げているのだが、親の死に関する話は避けたいのだ。

いずれにしても、これからの若い人や子供たちが健全に育つための医療体制を守るためにも、高齢者本人も望んでいないお金のかかる医療は取り止めていかなければならない。

国民健康保険制度の問題点は、薬の過剰投与や多くの問題がある。団塊の世代を中心とする高齢者医療の問題に集約はできないが、しかし戦後の自由で繁栄の世に生き、最大の幸福を受けた者として、少しは謙虚に協力できるものに協力しても良いのではなかろうか。

(平成28年11月12日付)

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